郵政にまつわるエトセトラ Vol.1 年賀状の歴史
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日本郵政グループにまつわる雑学や豆知識をご紹介する本企画。第1回目のテーマは、日本を代表する伝統的習慣である「年賀状」。意外と知られていない年賀状の歴史から今では恒例となったくじ付き年賀状の誕生秘話、知っておきたい年賀状のマナーまで、今からでも使える年賀状に関する学びやお役立ち情報をご紹介します。
平安時代にはすでにあった!? 年賀状を出す習慣
年賀状を出す習慣は、一体いつごろからはじまったのでしょうか。実は、その歴史はかなり古く、平安時代にさかのぼるといわれています。明確な起源は不明とされているものの、平安時代後期には人々は対面を主としながらも、年始の挨拶を手紙によって交わし合うことがあったという記録が当時の手紙文例集に残っているそうです。
また、当初は一部の人々の間でしか行われていなかったこの習慣も、江戸時代には飛脚制度などの発達によって庶民の間にも広まるようになり、1871(明治4)年に近代郵便が創業され、東京大阪間で郵便業務の取り扱いが開始されると、徐々により多くの人へ浸透するようになりました。さらに、郵便はがきの登場・1873(明治6)年、私製はがきの認可・1900(明治33)年といった事業や制度の変遷を経て、年賀状を出す習慣はより身近なものとなっていきました。
世界初の郵便はがきはオーストリア! 日本初はその4年後
実は、世界で初めてはがきが発行されたのは、オーストリア。日本初の郵便はがきは、その4年後の1873(明治6)年12月1日に発行されました。形状は今の往復はがきのような二つ折りで、当時、普通はがきとしては世界にあまり例がありませんでした。これは、当時まだ厚手洋紙が作れなかったことから、紙の強度を増すための工夫だったそうです。
はじまりは、社会福祉だった? くじ付き年賀はがきの誕生
はがきの表面にくじの付いた「くじ付き年賀はがき」。年賀状をやり取りする際の一つの楽しみでもありますが、このはがきが発行されたのは、1949(昭和24)年12月1日です。これは、「お年玉付き年賀はがき等の販売に関する法律」に基づいた新たな試みであり、実は誕生の背景には社会福祉の精神がありました。
くじ付き年賀はがきの考案者は、京都在住の林 正治(はやし まさじ)さま。「終戦後に通信が途絶えた状況のなかで、年賀状が復活すればお互いの消息がわかる。さらに年賀状にお年玉をつけて寄付金を加えれば、夢もあるし、社会福祉にもなる」という想いから、このアイディアを考えだしました。
林さまは、見本のはがきや宣伝用ポスターを自作して郵政省に持ち込みました。郵政省の会議では、「食べるものも食べられない時に、送った相手にクジが当たるなんて......」と反論の声も上がりましたが、紆余曲折を経て、世界初のくじ付き郵便物の制度が創設。その後、年賀はがきは、ピーク時には42億枚以上の発行数を記録するほどの人気となりました。
ニーズに応えて絵入り年賀はがきが登場!
1982(昭和57)年、年賀状の利用者が増えると、郵政省はそのニーズに応えるために寄付金付き年賀はがきを新年らしい絵柄や言葉入りのはがきとして発行しました。紙面を明るくする、華やかな絵入りのはがきは好評を博し、翌1983(昭和58)年には全国版以外に、地域限定の地方版のものも発行されるようになり、年賀はがきのデザインの幅が一気に広がりました。
\知っておくと役立つ年賀状豆知識/
元日を過ぎてから年賀状を出すときのマナーとは?
新年を迎えて、「元日が過ぎてしまった......」と出すのを諦めてしまう方もいるかもしれませんが、1月1日に届くことが重要視されるようになったのも極々近年のこと。もともと年始の挨拶まわりというのは、年が明けてから行うものです。それを考えれば、年賀状は年明けから松の内(1月7日)に書くものといえるでしょう。もしも、1月7日以降に返事を出す場合は、「年賀」ではなく「寒中見舞い」として出すようにしましょう。なお、寒中見舞いを出せるのは、2022年だと、2月4日(立春)までです。立春を過ぎた場合は、「余寒見舞い」として出すのが一般的です。
長い間、日本の慣習として親しまれてきた年賀状。メールやSNSでのやり取りが増えた昨今ですが、あらためて年賀状の持つ温かさを感じてみてはいかがでしょうか?
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